北タイの少数民族の話は、書き始めるときりが無い。
普段の日記帳に戻ることにします。

今日結構ショックだったのは銀塩カメラ(フィルムカメラ)のバッテリーCR123Aという、ごくありふれた(はず)の
バッテリーを買いにいったら行きつけの機材屋もなく、カメラやフィルムや4軒はしごしてやっと買えたこと。
うーん。まずいなぁ。タイはいっきにデジカメ移行してしまったから、フィルム物を見つけることが難しくなってきている。
東南アジアはやはりコストに敏感なので、デジカメのように運用コストの安いものに一気に行ってしまうんだろう。
それはわかるけど、4LR44とかもう買えません、全部輸入。私は日本に行ったとき纏め買いするけど。
そうはいっても、もうマミヤRZ67ももうほとんど使わなくなった。デジカメでほとんど用が足せるし、
実際雑誌等の入稿もほとんどもうデジタルデータ。高級誌はいまだにフィルム納品とか多いらしいですが、私にはあまり縁がありません。はい。

写真はルアンパバーンの通りでメコン河の川海苔を売る少女。

タイ北部の山岳少数民族たち(4)



こういう少数民族の村を訪れる楽しみのひとつは元気な子供たちで、この自然児たちを見ていると何だか元気が出てくる。村と町の距離が近くなっても唯一変わらないのが子供たちの生活。それもそのうちゲームとかはやりだしたりして大きく変わってゆくのかもしれないが、そのときにはそもそもタイの少数民族なんていう言葉ももう死語になっているのではないだろうか。前の日記でテレビを皆欲しがると書いたが、テレビが家庭に入ることでタイの文化、正しいタイの言葉、タイ人としてのアイデンティティーが育ちはぐくまれ、あるいは大都会(バンコクチェンマイ)の暮らしに憧れますます若者は村を顧(かえり)見なくなってゆくのだろう。当のタイ人自体がこの一連の流れを「洗脳」と自嘲的に話すのを何回も聞いた。



これって、何だかどこかで聞いたような話だと思う。
私らの父母が、あるいは祖父母が田舎から東京や大阪などの大都会を目指して集団就職などで移動してきた時代、あるいは現代の中国大陸やその他の国地域で普遍的に起こった、あるいは起こりつつある風景。その流れを停める処方は誰も持ってはいない。そしてありとあらゆるエントロピーは拡散してゆく。

タイ北部の山岳少数民族たち(3)

4月はタイ系諸族にとっては、大切な月で彼らにとっての新年に当たる。ソンクラーンとよばれ、仏様やお寺ををきれいに清掃し、家族の年長者の手に水をかけお清めをし敬意を示して祝う。ちょうど日本の花祭り灌仏会)に似ているし時期的にも近い。これは偶然だろうか。


晴れと褻(ハレとケ)のハレに当たるこの日は村人にとっても待ち遠しいものであった。ささやかな、ささやかな祭りではあるが誰もが楽しみにしていた日で、あるいはこの日ばかりは無礼講となり憧れの女性に思いを打ち明けたり、村の青年にとっては別の意味でもとても重要な日でもあった。
 

実際は、そういった祭りが待ち遠しいとか楽しくてしょうがないという雰囲気もすっかり薄れてしまっていた。若者は町でもっとたくさんの同年代の若者たちと水掛けをして楽しむ。村々からは若者が町に下りてきて、そもそも職場の仲間だったりするので何族だろうと、同じタイ語でタイ国民でここぞとばかりに青春を謳歌する。村の長老たちは「時代の流れだな。しょうがないな。」といいながらも少し淋しそうだ。








 

タイ北部の山岳少数民族たち(2)

wanwanwan_992008-04-26


 以前は夕方になると家々から囲炉裏の煙が上がり、畑仕事を終えたものたちがそぞろ集まってきて、私の持ってきた酒をおいしそうにちびりちびりとやりながら、何だか少しほっとした感じの夕刻のひと時をすごしたものだった。いまは安酒なんかいくらでも麓のスーパーマーケットで買える。別段貴重品というわけでもない。大手スーパーで働いているものはそんな早い夕方に帰ってこれるわけでもない。職の無い暇そうなオヤジと孫を育てているおばあちゃん(彼女らだけはいまだに民族衣装も着てくれているが)がぽつぽつと顔を出してくれるだけである。以前はこの夕刻時に若い娘さんたちもおめかしして、写真を撮って!とたくさん集まってきたものだった。町に下りることは、1日がかりの大変な仕事だったし、何よりも電気もテレビも無い村には娯楽が無かった。そんな中でふらりと訪れる私のような「旅人」は、村人の興味を大いにそそったのだと思う。もっともいまどきは、農作業に従事する若者たちでも、帰って食事をすれば楽しいテレビが待っている。村の訪問者も別に珍しいもんじゃない。だいいち町で毎日一緒に仕事をしているのはそういう普通の人々たちだ。もうそこには何の「特別なこと」は存在しない。ちょっと気の利いた家には地上波ではなくて多チャンネルの衛星パラボラが設置されている。それも1軒2軒の特別なもんじゃない。

ここらは愚痴になってしまう。でもね、以前は楽しかった。子供や若者が集まってきて夕餉の囲炉裏の前で楽しく下界の話をしながら、前に撮った写真を持って行ってあげるともう娘さんたちは目をきらきらさせて。そういう楽しみはもう無い。ただ、そうは言っても村人たちの暮らしはあるし何日か滞在すればそれなりの生活感も感じられ、彼らも生活を変化させながらまた新しい問題に悩んだり、抗ったりしているのだ。ということが見えてくる。