桜咲く村(2)


 この村は程よい高地にあるため、花々にとっては良い環境なのだと思う。咲いているのは何も桜だけじゃない。雲南系中国人が多く入植しているので、当然彼らの愛する梅の木もたくさん植えられている。桜もこの村の近所に住む赤カレン族の男性が農業研修先の日本から持って帰ったソメイヨシノまで花をつけている。ネコヤナギ、菊、コスモス、ポインセチア、ヒメヒマワリなども同時に開花している。花が多くてにぎやかでよいのだが、日本的な季節感からはほど遠い。そのなんかちょっとずれた感じもまたタイ的で面白いと思ったりもする。






桜咲く村(1)

 僕ら日本人にとって桜という花はやはり特別な花だと思う。いま僕はタイに住んでいるが、この南国タイにも桜の咲く場所がある。タイ北部チェンライ県の山奥ドイチャン村。標高1500m程の高地だ。そもそもラオス、中国雲南省に近いこのチェンライ県はタイで気候の涼しい場所として知られているが、この場所はさらに標高があるので冬季は最低気温が5度〜10度、最高気温も20度前後になる12月の終わりから1月の初旬にかけて一斉に開花する。
 ここ数年は新年をここで過ごすことが多くなった。一昨年末には、この村への舗装工事が終わり4WD車両でない一般車も入れるようになった。実はチェンライ県にはドイメーサロンというもう一か所桜で有名な場所がある。そちらの方が規模も大きく開かれた場所にあるのだが、観光化が進み写真の被写体にはなりにくくなってきているのであまり出向くことはしない。
 このドイチャン村は山の斜面でコーヒーの栽培が盛んで、ブレンドコーヒーの増量用に癖のない豆として多くが海外に輸出されている。村も換金作物の栽培で次第に豊かになってきていて、観光開発に力を入れようとする動きもあると聞く。そんな観光開発なぞしなくてもよいのに。今のままでいてくれたらよいのに。と、わがままな僕は思ったり。
 この村は雲南系中国人、リス族、アカ族の混在して住んでいる村だ。台湾からの援助や投資が入っているので村の規模はこの界隈ではドイワビー村に次いで大きな村だ。以前はヘロインの原料になるケシの花を栽培していた人々ではあるが今はコーヒーの栽培、あるいはお茶(頂凍烏龍茶という銘茶)を栽培している。道が整備されたのでぽつぽつと民宿やキャンプ場を始める人々が出てきた。またバンコクからのタイ人観光客も少しづつ増え場じめている。
 白人観光客は、たまにこの山の上のチェンライ市内へと至る未舗装の道を4WDのコンボイで爆走してゆくだけで、さしてこの村に立ち寄ったりする気はなさそうなのがせめてもの救いだ。一人二人の白人旅行者が村に長期滞在しているくらいなら別段気にもならない。


レンテン族の村にて。


ルアンナムターの町の比較的近く(といっても30kMほど離れてはいるが)にあるナムリー村。ここはレンテン族の村だ。タイ・ラオスでめっきりと少なくなってしまった民族衣装を日常的に着ている村だ。ここは比較的裕福な村だがそれでも民族衣装や織物などレンテン族の文化風習をかたくなに守り続けている。いいことだ。




















































































































 この村の子供たちはかわいらしい。もちろんどの村も子供はかわいいのだが、この村は刺繍や織物を海外に送っているために現金収入があるとのことだった。現金収入が多少でもある村の子供たちはなぜかちょっとおっとりした感じの子供が多い。
 「貨幣経済が村の文化を壊す。」と主張する人が日本にはたくさんいる。いまだにいる。原始共産制のノスタルジーなら自分の身の回りでやってろと思う。貨幣は現代社会で種々のサービスを受ける時にどっちにしても必要となるものだ。それはともかく、この村は豊かなのだと思う。お金に振り回されずに、今の暮らしを守りつつしかも決して自分たちは貧しいと思っていないのだから。こういう桃源郷は最近ほんとうに少なくなってしまった。

ルアンナムターの市場にて(2)

市場を歩いてお腹がすいたら、この市場の奥に何軒か麺屋さんが並んでいるのでどっかと陣取って麺と食することになる。麺はタイや中国南部で食されている「クイティオ」に近いカオソーイと呼ばれる麺だ。チキンスープをベースにトッピングには地元の味噌が乗っている。これは日本人好みの味で、私は大好き。







.
市場をうろつく楽しみの一つに地元の人との出会いがある。麺をすすりながら横にいる子供に話しかけたり、麺を作っているおばさんを観察したり。日本だとなかなか見ず知らずの人に声をかけることすらはばかられる今日この頃、もう少し人間の原点に戻れるような気がして大好きだ。


















.

ルアンナムターの市場にて(1)

ルアンナムターの市場は小さな町なのですぐ見つけることができると思う。何度か訪れているが、本当に小さくてのんびりしていい町だ。今回は市場の周りにもちょっとした変化があった。中国のモンラー、景洪行きのバスの発着所が移動されて大きなホテルが建設中。こういう立派なホテルは確かに地元の経済を潤すことと思うが、何もルアンナムターに作らなくてもよいのにと思う。しかし、アジア南北回廊の要衝にあって、これから旅のかたちも変わってゆくのだろうか。
 タイやラオスベトナムの田舎を旅する時には、いつもその町の市場を覗くことにしている。そういう田舎には娯楽がないので市場くらいしか人が集まって華やいでいる場所がないということもあるのだけれど。ただ市場は朝食前の朝の早い時間が勝負時なので、ついつい早起きになってしまう。早起きといってもこういう田舎の旅だとゲストハウスで旅人同士情報交換をしたりちょっと飲んだとしても、せいぜい夜の9時ころにはやることもなくなって寝るしかないので必然的に早起きになってしまうのだ。(笑)

 この北部ラオスの田舎の市場は、ことのほか私のお気に入りである。この地域は古くからの雲南中国の文化と、タイ系諸族のランナー王国の文化、それから植民地化後のフランスの文化がそれぞれ程よく自己主張をしているから。それに日本人に見慣れたような食べ物も多いこともある。特にこの写真の豆腐なんかは、硬い中国豆腐とも違ってまるで日本の木綿豆腐そのもの。いつもこれを見るたびに生姜と醤油で食べたいなーと思うのだが、日本醤油を忘れる悲しさでいまだに成功していない。実は醤油と生姜と細ネギで地元の人々にも食べさせて反応を見てみたい気もするのだが。

 このうどんのようなものはお米を粉にひいて作ったもので、この地方で普通に食べられている。鶏がらのスープで食す。もうまるでうどんのような感じだ。タイのセンヤイと呼ばれる麺も同じ流れ。こういうのもそうだが一つ一つが日本人にとっても懐かしい感じのするアイテムが多い。なごむ。

北ラオス ルアンナムター 2008年

ラオスから中国雲南省国境にかけてまた車で走ってきた。
いつも問題になるチェンコン(タイ)-ファイサイ(ラオス)国境。今年もいろいろ手続きの変更点や何やらで両側とも大変だった、ここら辺を車で走破するということに興味のある人はまた別にコメントなりでメアドを置いておいていただければと思う(笑)もちろん生身の人間と手荷物で渡る場合は何の問題もなく渡れる。

ここまで上がってくると気候帯的には温帯に近くなる。写真はこのサイズだとわかりにくいが、ラオス側からタイ側に売電している高圧電線がメコンの両側にかかっているの図。ラオスは自国では停電も多いしまだ電化の進んでいない地域も多いのだが、外貨獲得のためにタイに電気を売っている。